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シベリア鉄道の旅③

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寒さの厳しいウランバートル駅

ウランバートル駅には定時に到着し、Mingに導かれるままKhongorゲストハウスへ移動。
ゲストハウスは一般のアパートの一部をゲストハウス化したものであった。
個室はダブルからでシングル使用で10米ドル。
インターネットは共通のPC2台、頼めば貸してもらえる宿の経理などをしているPC1台、個人で持ってきた端末をつなげる要のケーブル1本と必要十分であった。
ドミトリーが5米ドルということなので、今回はシングルを選択した。

ウランバートルでは旧ソ連時代の建物が多いようで、昔の日本の集合住宅の様に無機質のそっけないものばかりが目に付く。
しかし、なんだかんだ言いながらも店も多いし、国営の国際デパートがあったりしているが…何処と無くギスギスした雰囲気が漂っていた。
道端に寝ている人も見かけ、貧富の差を感じた。
人の笑顔も少ない気がする。

5月22日 ウランバートル Khongor GH.

早速、ウランバートルを散策。

流石にモンゴル国の首都だけあって、馬や狼をモチーフにした絵や像、スターリンかな?って思われる像、チンギスハンの像などを見かけた。
何でもモンゴルの伝説だとモンゴル民族は雄の青狼と雌鹿が先祖になるそうだ。
また、馬と鷹はモンゴルを象徴する動物で、きわめて大切かつ尊重されている。
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モンゴルの英雄チギスハーン

また、韓国とのつながりが強い様で、いたるところに韓国料理店やハングル文字を掲げた看板があった。
何でもモンゴルではキムチを結構食べるらしい。
他の料理では一切唐辛子を使わない食生活なのに不思議な話だ。

スーパーやデパートも覗いてみた。
食材は主にロシア、中国、韓国からの輸入品が多い。
飲み物は中国とロシア、パスタや小麦粉・小麦加工品類はロシア、インスタント麺や漬物・野菜加工品・調味料は韓国と中国が多い様に感じた。

現地の人の主食は米、モンゴルパスタ(きし麺みたいだった)、ロシアパン・パスタそして肉が中心。
肉が主食になる文化圏らしい。
土地柄野菜がほとんど取れないので生の野菜はニンジン、たまねぎ、じゃがいも、姫りんご、小さなプラムを除いては輸入品のようだ。
他のものに比べて高い上に、どれもこれも軽くしなびている。
変わりに瓶詰めのピクルスが何処でも売られていたが、これも肉やパンに比べるとそれなりの値段がした。
パンが丸い大型のもの(日本の食パン1斤位はある)で100円以下、瓶詰めの野菜が500g位で100~200円、肉は値段は忘れたが羊・馬ならものすごい安い。
ビールは4~600mlの瓶詰めが多く80~150円位、シンガポールのタイガービールや中国のチンタオビールはモンゴルやロシアのビールに比べて1.2倍位の価格設定。
ソフトドリンク類は500mlのペットボトルで60~80円位だったと思う。
水は安くて1Lのペットボトルで40~50円だった。

日本の食材は何故か日本以外の国でつくられたうどんが必ずおいてあった。
また、国際デパートの輸入品コーナーにはブルドックソースの500mlが置いてあった。
…1本が800円位したと思う。(汗
他には日本から来たものとしてはカレーらしい。
日本のメニューとして紹介されて、モンゴルでカレーというと日本風のどろっとしたカレーになるそうだ。

日本の文化としては相撲が広く普及しており、朝青龍の出身地としても有名だと考える。
ジャパンドリームが存在しており、相撲で稼いだ金でモンゴルで事業を起こす力士が多いそうだ。
TVは田舎のほうにも普及しており、自家発電や太陽発電機をゲルにつけてみているようだ。
娯楽の中心はロシアや韓国のドラマ、そして日本の相撲!
相撲は現地の解説付で夕方のゴールデンタイムに長々とやっていた。
日本人だというと相撲はどうだとか、今回の夏場所についてとか聞かれたが…まったく持ってわからずわたわたしてしまった。

他にも中国や東南アジアと大分異なる装飾や町のつくりに驚き、時折吹き付ける強烈な砂嵐にじたばたし、スコールのような雨に悩まされた。
激しい気候だ。

4時間くらいで疲れてしまって宿へ戻る。
しばらくネットで今後の情報収集やメッセをしていると、そばでツアーの詳細の説明が始まった。
どうも、東洋系の男性と欧米系の女性が一緒にツアーに行くようだ。
興味があって耳をそばだてていると、東洋系の男性から声をかけられた。

男性はマレーシア人華僑のRupert(ルパード)、女性はイングランド人のVerity(ヴェリティ)。
一緒にツアーに行けば値段が安くなるからどうかと誘われた。
話しを聞いているとツアーは8~11日で北側のルートを予定しているようだ。
流石に長すぎるなと渋っていると、湖の周りが凍っていて綺麗だとか、馬に乗って草原を散策できるぞとか、ゲルに泊まれるとか中々興味を引くワードがごろごろと出てきたので、乗ることにした。
結局はロシア国境近くまで行く北側から中部を抜けて戻ってくる11日のルートになった。
このツアーは最大5人までいけるから、他にも2人誘おうとRupertが同じ宿に人へ声をかけていた。
結果、イタリア人の初老の男性Franco、ポーランド人の中年男性Hemmoが加わり計5人がそろった。
5人そろったので31米ドル/人・日(食事、英語が話せるガイド、運転手、専用のミニバス付)。
普通に宿で過ごしていても10米ドル+食事代15米ドル(ウランバートルのレストランは高い)くらいはかかったので、かなり条件としては良いと考える。

北のほうは夏でも湖が凍っていて、朝は氷点下近くになるとのことなので宿のスタッフからダウンジャケットを借りた。
旧型の安いジャケットでごわごわして動きにくい上に、ジッパーが壊れていたが非常に暖かかった。
他の人も同様にジャケットを借りるか、買うかしていた。
自分はキャップと薄手のズボン、山登りなどにつかう二重になっているグローブを購入した。
ズボンとグローブはノースフェイス(有名なアウトドアスポーツブランド)の物だが、日本に比べて四分の一程度で購入できた。
国際デパートメントストアーとノースフェイスの世紀取扱店と思われるところで購入したから本物だろう。

5月23日
ツアー初日。
女性モンゴル人ガイドのZaya(ザヤ)と男性モンゴル人運転手のZaki(ザキ)の2人が加わった、総勢7人の旅だ。
何か、ガイドのZayaがずいぶん若い気がするが…モンゴル人の年齢は良くわからないので記にしないことにした。
砂埃が多いウランバートルから出発し、しばらくすると道の舗装が無くなり、徐々に砂地に草という列車で見た光景になっていく。
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丁度出産シーズンで動物の赤ん坊を良く見かけた

Amarbayasgalant unit
観光村と思わしき場所へ泊まる。
道中はとても時間がかかった。約10時間。
最後の1時間は悪路が続き、非常に辛かった。
途中、昼食をとったり、スーパーによったり、車がどろにはまったりして、色々あったのだがこれだけ長いと暇で仕方がない。
他のメンバーは英語が上手く、話せいないのはZakiと自分だけだ。
途中で何度も簡単な英語で話しかけてくれて、非常に助かった。
もう少し英語を上達させなくては…

Zayaは相撲の話しを良くして来た。
やはり相撲はモンゴルを代表するスポーツの様だ。
「今年のNatsubashoは誰が優勝すると思う?」
「…なつばしょ…夏場所ね!!うーん、選手を知らないから…」
われながら自国文化への知識が乏しいのが悲しい。

観光村は大きな寺の近くにある小さなコロニーだ。
広大な草原の中にそれだけがポツンと立っているのが不思議で仕方ない。

夕食は22時に羊肉と少々の野菜を煮込んだスープ。
自分はとても贅沢(モンゴルにしては)に野菜を使用していて、うれしかったが他の人は調理法や味付けが好みではないようだ。
ほとんど手をつけずに残していた。
勿体無い!!
久々の野菜なのに。

宿泊場所はゲルだ。
一つのゲルで5人寝られるが、RupertとVerityがカップルの為、二つのゲルを借りた。
自分はFranco、Hemmoと同じゲルだ。
ゲルは円形状の木と布で組まれたテント、その中心に小型の薪ストーブ、外側の壁に沿ってベットが並ぶシンプルなもの。

久々に薪を使う暖房器具を見た。
Hemmoが薪を使った道具は好きだと言うのでお任せした。
流石にモンゴルは乾燥しているので簡単に火がついた。
ふと、草原で火事が起こったら早々には止められないだろうなと考えてしまった。
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見渡す限りの草原と太陽が綺麗だった
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Zayaとモンゴルでは珍しい水辺。これも乾季には無くなる。
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ゲルの前で。Franco撮影。


5/24
9:00
今朝は先日見た寺に行く予定だ。
その前に自分がリクエストしたモンゴル式ミルクティーをZayaの知り合いの家でいただいた。
他の人は好きではないようなので、自分だけであるが…
皆、モンゴルの文化にあんまり接しようとしない。

初めて飲んだヤクのミルクで作ったモンゴル式ミルクティーは、ウランバートルのレストランで飲んだインスタントのものとは大分違っていた。
インスタントのものは塩味が強くお茶もくどい感じがしていたが、茶葉と生のミルクから作ったものはもっと薄めで、塩味も弱く、ミルクが独特の甘さと香りを出していた。
お茶としては違和感を覚えるが、スープとして捉えると非常に美味しい。
モンゴルはチベット仏教の為、ダライラマを生き神様に近い存在として家でお祭していた。

その後、他のメンバーに会うが、皆ベットが固いとかゲルが寒くて仕方ないとか叫んでいた。
確かに寒いけど、寝袋もあるし毛布もあった。
ベットは木の板の上に薄手のマットだけで背中は痛くなるが、ボーイスカウトの時に経験した地面の上に薄手のマットよりは快適だと感じた。
ちょいと工夫すれば何とかなるレベルだと思う。

9:30
先日の大きな寺へ行ってみる。
Amarbayasgalant monastery(アマーバヤスガレント寺院)という名前だ。
丁度、お坊さん達が朝のお勤めとして、読経している所だった。
モンゴル人の観光者も来ていて、何人もが写真を撮ったり、マニ車を回したりしていた。
お参りをした後、自分も写真を撮った。
しかし、気がついたら皆バラバラに写真を撮っていたためはぐれてしまった。
Francoを見つけたので、一緒に先日の宿まで移動した。
車も無いが流石においていくわけが無いので、何かの準備をしているのかもしれない。
少々まつことにする。
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お勤め中


15:30
Bulganという街で昼食。
モンゴルの地方にしては比較的大きめの街で、モンゴル料理以外に洋食料理店が珍しくあった。
既にモンゴル料理を嫌がっていたほかのメンバーが飛びついた。
皆、羊の肉の香りや硬さが嫌らしい。
確かにモンゴルの羊はラムじゃなくてマトンなので、香りもきついし硬い。
また、Verityはベジタリアンで既にモンゴル料理がほとんど却下されてしまう。
そういえば昨日もインスタントラーメン食べていた。
この先、大丈夫だろうか。

自分はモンゴル料理でいいのに…
モンゴルの洋食はパスタはのびたうどん並にふにゃふにゃにしちゃうし、ソーセージも高い割りに不味く、さらにトマトケチャップが日本人のイメージするトマトケチャップに砂糖を加えたような、異常に甘いものですべてのトマト系料理に使ってしまうので…味は押して図るべし…不味かった。
他の人は「久々の洋食だ」とそれでも喜んで食べていた。
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市場は活気にあふれている。


22:00
宿泊地にようやく到着した。
直ぐに夕食の支度をしているが、既に遅くなりすぎていてベットの準備も出来ていない。
他の人達が先日の食事に満足が出来なくて、苦情を言い始めている。
モンゴル食は自分は好きだから別に良いのに…
Ruperdが特にうるさく主張していた。

自分は野菜が食べたかったし、時間も遅かったからZaya達と一緒に作ることにした。
ニンニクとたまねぎ、ニンジン、パプリカ、羊肉の炒め物とボイルしたジャガイモ、白米(ジャポニカ米)の3点。
とても美味しくできた。
Ruperdが今度は「美味い。美味い。」と騒いでいる。
Verityは肉が食べられないので、インスタント麺にトマト、ボイルした豆というへんな食事をしていた。
美味しいのか聞いてみたら、凄く不味いって言っている。

Zayaに気にするなといいながら、ついつい全部の料理を自分で作ってしまった。
落ち込んでいる様子なので、気になる。

Ruperdがキャンプの子供達に荷物もちをさせたりしていた。
時間が0時過ぎなのに何時までもキャンプの家族が寝る家で騒いでいるし…
後で代わりに謝っておいたが、ものすごく迷惑そうな顔をしていた。
そりゃそうだろう…
流石に年長者のFrancoは落ち着いていて、騒ぐのをいち早く止めて寝ようと言って移動を始めた。
自分にそれに習いゲルへ移動した。

Francoのいびきが凄い。
Hemmoが時々悪態をついて起きていたらしい。
自分は…もともと祖父が耳元でいびきをかく人だったし、カラオケ屋で皆が歌っていても疲れていれば寝ちゃう人なんでうるさいなーと思いつつも寝てしまえばまったく気にならなかった。

朝、キャンプの家族へお別れとお礼を言う。
子供達へは少々のクッキーをあげた。
HemmoとFrancoは子供好きの様で、何だかんだとじゃれあっている。
キャンプの家族も少し慣れてくれたのか、笑顔を見せてくれた。

5/25
又、長時間のドライブ。
既に皆疲れており、不満がたまっている。
しかし、今日は久々のシャワーが浴びれるはず(※)なのでと皆でがまんしようとしていたが…
途中から他のメンバーが「バスに乗りっぱなしで何も見られないじゃないか!!」「美しい景色ってどうなっているんだ!」「キャンプにつくのはいつも真夜中だし、食事もまともなものじゃない!」とザヤに怒っている。
気持ちはわかるがZayaは皆の不満を解消しようと走り回ったり、皆の意見を聞いてから動いたりしてがんばっている。
次第に皆も「Zayaが悪いわけじゃない」との思いにたどり着いたが、一応不満はスタッフに伝えておこうとZayaに色々言っていた。

また、自分は良くわからないがザヤの英語がいまいち拙い様で、「本当にガイドとしての経験があるの?」って聞いていた。
結果は…実は学生でまだ、高校生らしい。
皆、ゲストハウスのスタッフの説明のいい加減さに飽きれて、後でどのような文句をKhongorゲストハウスに言おうかと考え出した様子だった。

※モンゴルは空気が乾燥していて菌がほとんど繁殖できない事と、水が少ないせいで未だに水浴びをする習慣が地方では無い。当然、その為の設備も無い。

この日もほとんど車の中。

昼食は田舎町で食べた。
小さな定住者が少々いるだけのコロニーの為、モンゴリアンフードしかなかった。
Hemmo、Rupertはほとんど手をつけず、Verityはリンゴばかりを食べている。
ただでさえ気温の変化が激しく、道も天井に頭をぶつけるくらいの悪路が続くモンゴルの旅で食事が出来なくて大丈夫だろうか。

夕食も先日みたいに遅くなってから宿で食べたくない&モンゴリアンフード以外にして欲しいと他のメンバーが言ったので、宿の一つ前の中型のコロニーで食べることにした。
この街はロンリープラネット(※)にも乗っており、しっかりとした洋食料理店があるとの事。

※世界的に有名なバックパッカー御用達の旅行ガイド。英語版がメインで一応日本版などもあるにはあるが、数が少ない。
地球の歩き方より正確で情報量が多いと日本人のファンも多い。
難点はものごっつい分厚くて、値段が高いこと。

レストランは問題なく見つかった。
そこはモンゴリアンフードから洋食、ベジタリアンフードまでそろっていて、全員が満足できた。
特にVerityは久々にまともな食事が出来たと喜んでいた。

結局、宿には0時丁度にたどり着いた。
周りは真っ暗で風が身を切るように寒い。
しかも、期待していたシャワーはコールドシャワーのみで、暖める為の設備が無い…
また、キャンプもちゃんとした小屋なのだが照明装置がまったく無く蝋燭のみ、暖房もゲルとまったく同じ薪ストーブ、隙間風もひどくトイレは外にある真っ暗な小屋の中…
とうとう、みんなの怒りが本格的に爆発した。
ギスギスしたなかでZayaになんとか近くでホットシャワーが無いか確認と調整をお願いしたが、かなりの田舎の為無理だった。

ZayaとZakiが塞ぎこんでいるのが気になる。

5/26
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今日は待ちに待った馬乗りの日!
Khatgal Lake周辺を周る予定だ。
朝起きたらRupertが寒い寒いと震えていた。
自分にはそれほどきつい寒さではなかったから、着込めば良いのにと思ってほっておいた。

朝食は常にパンとバター、ジャム、お茶のみ…何時もこれだと気が滅入る。
又、パンは常に買い足しているが、一日前のパンだとモンゴルの気候柄ガチガチに固まってしまう為、はずれを引くとものすごい辛い。
夕食は出来るだけ昨日の町に戻ろうということになった。

結局、シャワーは使えなかったが洗濯が出来た。
近くの川の水を汲んできたらしい。
これだけのことでもみんなの不満が若干解消されたようだ。

馬はキチンと調教されている良い馬だった。
観光客でも指示には従うし、現地ガイドもさっと補助をしてくれたお陰で初馬乗りにしては上手くいったと考える。

乗り方はやや後ろに腰を引く形で座り、足はつま先を軽くステップにかけるだけ、手綱は片手でもつというスタイル。
「チュ」と叫びながら軽く馬を手綱で叩くと歩き出し、それを繰り返すと走り出す、右に曲がりたいときは馬の顔を右へ手綱で向けさせ、左は逆にと非常に指示もわかりやすかった。

Hemmo、Rupert、Verityは既に乗馬の経験があり、モンゴルの手綱の持ち方とイギリスやアメリカの持ち方は違うなと慣れた手つきで操りながら言っていた。
Francoだけは未経験なのと「チュ」と上手く言えずに、ガイドがコントロールしていた。
しかし…不思議なのはFrancoが「チュ」と言うと彼の馬は動かないのに、自分の馬が何故か反応していた。
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Francoがんばる

湖はとても透き通っていて、氷塊が無数に浮遊していた。
時折、吹く風が非常に冷たい。
また、モンゴルのヤクも多く飼われていて、そこかしこに牧場を見ることができた。
湖の周辺は針葉樹林が多く広がっており、今までのモンゴルのイメージと大分異なるものであった。
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当初の予定では丸二日馬に乗る予定であったが、ゲルの条件が悪そうなのと街に近いところに泊まろうということで一日で元のキャンプに戻ることにした。

馬乗りはとても良い経験だし、景色も良かったがとても寒かった。
また、尻の所がすれてとても痛かった。
後で確認してみると尻の間に擦り傷が出来ていて、その後もバスの揺れで何度も開いてしまい、何時までも痛かった。
姿勢が悪かったのだろうか。

夕食はトマトソースのパスタをZayaが作ることになった。
概ね好評ではあるが、麺がモンゴル式で茹で過ぎ、ソースの野菜が茹で足りなくてほぼ生だった。
おそらく、モンゴル人がイメージする食事と大きく異なる為、真似しているつもりでも良くわからないのだと考える。

夕食後、皆でたらいで髪を洗い、体をタオルで拭いた。
馬乗りが良かったこともあって、皆落ち着いてきたようだ。

同室のHemmo、Francoと話しをした。

Francoとは自分が途中で買ったモンゴリアンワインを一緒に飲んだ。
Francoは夕食のたびに「これで赤ワインがあったら…」とよく言っていたので、少々気を使って買ってみた。
赤玉ワインの様に甘くて、さらに独特の酸味と香りを持っている。
ワインとは別の飲み物のようだった。
Francoも「変な味だ。ワインじゃない。」と言っていた。

自分の英語はまず口を開いて、皆に言うことが重要だとHemmoが指摘してくれた。
心がける。

Hemmoと自分の仕事、今後の目標の話をした。
何でも映画やドラマの舞台になる場所を探す職業をしていたとの事。
敷居は低く誰でも参加できるが、それらの場所をストックしておく能力とその場所の利点をプロモーションする能力が必要だといっていた。
場所の選定も難しく目的の映像がある場所があり、スタッフが泊まれる場所を確保でき、周りに邪魔になるもの&人が住んでいないか一時的に移動してくれ、騒音が出ても大丈夫な所との事。
聞いただけでも難しそうな職業だと感じた。
現在は仕事を止めて、長期旅行中との事だった。

こちらの話しは以前、生化学、農芸化学、食品化学などの研究者であったこと、旅行は約1年を計画しており終わった後はボランティア活動をしたいと伝えた。

その後、Rupert、Verityが加わって今後の予定や、ここのキャンプには電気が来てない為、一定時間だけ動かされる自家発電施設からの電気でデジカメのバッテリーを充電するしかないという話しをした。
大分、打ち解けてきたように感じる。

5/27
朝、トイレに行きたくなり起きてみると外がやけに明るかった。
不思議に思いながら外に出てみると、雪が降っていた。

本来は馬乗りだが、計画を変更して目的地まで車で見に行くことになった。
車中は今までよりも落ち着いている。
こちらからも積極的に話しかけ、皆で談笑しながらの移動であった。

結局、目的地に移動してきているはずの北端に住む部族は6月にならないと南下しないとの事であえなかった。
既にKhongorゲストハウスの計画と説明に無理があることは皆わかっていたので、大きくは騒がなかった。
皆でZayaとZakiには問題が無く、計画者であるKhongorゲストハウスのオーナー夫婦に問題があると意見が一致。
二人に苦情を言っても埒が明かないし、二人が困るだけなので今回は騒がないことになった。
既にZaya自身もKhongorゲストハウスのオーナーから聞いていた話しと異なることが多すぎて、つかれきっている。
旅が終わってから苦情を言おうと皆で話し合った。

その後、どうし様かという話になり、自分が「もっと湖の近くに行きたい」と言ったので、全員で湖の近くを散策することになった。
水辺には打ち上げられた氷塊が転がっており、場所によっては氷の平地が出来ていた。
すべての氷の結晶が大きく、また中で光の反射がされているようで薄く青く光る美しいものであった。

Zayaから湖の近くに昔からモンゴルでシャーマンとして活躍してきた一族が住んでいて、会えるかもしれないから行ってみないかとの提案を受けて移動する。
シャーマンの家は直ぐに見つかった。
そこは家畜の糞を乾燥させて作った家で、非常に独特のにおいがした。
結局、シャーマン家族は出かけていたようで、会えなかった。

夕食は途中で魚釣りをしていた人から購入した魚。
とても大きくて美味しそうな魚だが、調理器具に対して大きすぎそうだ。
最初からFranco、Zayaと三人で調理していたら、下ごしらえを終えた時点からRupertが手を出してきた。

既に大騒ぎをしすぎて、モンゴルのスタッフを怒鳴るだけで解決策をうち出さないタイプのRupertは周りに嫌われていて、現地スタッフの大部分が無言で出て行ってしまった。
場の雰囲気がとても悪くなった。

苦労して準備した魚もRupertが持っていってしまい、挙句に他の調理もしている自分に「油とって」「今のタイミングで魚入れて」「あ、ここら辺でひっくり返して」と本人は見張っているだけで指示ばかりしてきた。
しかも、モンゴルの人がお茶とかスープとかに使う鍋を勝手に魚を焼くのに確認もしないで使おうとして、こちらが指摘してあげないといけない状態だった。
こちらは他の調理があるのでと突っぱねていたが、不味いものが出来るよりはとある程度は手伝っていた。

他のメンバーも来たが自分があからさまに怒っているので、不思議がっている。
Rupertの調理が終わった時点で既に自分の怒りは爆発寸前であった。
自分は「これはRupertが彼のスタイルで作った料理であり、自分が作りたかったものではない。」
と伝えて後は黙って調理していた。
最後にRupertが「魚の残りをグリルしておいてね。」と言いながら、まだ大量に調理してきた自分へ持っていった魚の半分くらいを渡してきて自分は食べ始めた所で怒りが爆発した。
みんなの前でRupertを怒鳴りつけた。
あまりにも子供っぽいその行動と自分勝手さ、今まで抱いていた不満を拙い英語でだが伝えた。
HemmoがフォローしてくれてRupertから謝罪があったが、しばらくは怒りが収まらなかった。
Verityも驚いていたが、Rupertを擁護することもなく冷静に聞いていた。

その後、皆から離れて一緒に買い物に行こうとFrancoから誘いがあり一緒に出かけると、彼からもフォローがあった。
Francoは「Rupertが間違えたことをしている。お前は正しい。」と言ってくれた。

Zayaからも翌日の事に「あなたの行動の方が正しいと考える。ありがとう。」と言ってくれた。

この後、今までは「英語が伝わらない、子供。」扱いと感じていた皆の態度が一変した。
Hemmoも伝わるまで丁寧に難しい内容の事も話してくれるようになり、伝わらないから諦めるという事をしなくなった。
VerityもZayaを一緒にフォローして自分の希望を聞かせてくれるようになった。また、時折「あなたは親切でいい人だ。」と言ってくれるようになった。
Francoは元々自分に好意的だったが、ここら辺から「お前は俺の息子だ。」と事あるごとに言ってきて、「一緒に何をやらないか?」「ワイン買いに行こうじゃないか」と誘ってくれるようになった。父より2歳年上だけのFrancoは本当に息子を扱うようにしてくれるが、自分にはどちらかと言うと祖父が出来た気分だった。Francoと会える日があまり長くないのが寂しい。本当のお爺ちゃんみたいだ。
Rupertも無理にはしゃいだ振りをしていたのを抑えて、冷静に話しをするようになった。もともと、頭は良い人だと思うが、プライドが高くて上から下へ指示するような口調が多かったようだ。そこら辺も相手の事情を考えてくれるようになった。
今回の事は良いきっかけになったと思う。

Zayaがまた塞ぎこんでいた。
今後は皆でZayaが精神的につぶれないようにフォローしなくてはいけないと感じた。
Khongorゲストハウスには怒りを覚える。
Zayaがあまりにも可愛そうだ。
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丁度、時期的に南部への移動が始まっていた


5/28
今日はKhatgal湖近くの小屋からShine ider村という所へ移動する。

三日続けて朝は雪が降っていた。
しかし、昼になると非常に暑くなりTシャツ一枚でも過ごせそうな気温になる。
これでも、モンゴルでは初夏になるらしく、ロシア国境に近いこのエリアは一年中氷に閉ざされた場所も一部あるようだ。
Zayaは一日で四季を感じられるのがモンゴルの特徴だと言っていた。
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テーマ : 世界一周
ジャンル : 旅行

シベリア鉄道の旅②

18:00頃
特にやることも無いまま席に座っているため、腰が痛くなってきた。
横になりたいがベット席はMingが使用しているし、自分にあてられたベットは彼の頭上にあるものを降ろさないとならない。
時折、列車内を歩き回ることで対応しよう。

見渡す限りの砂と申し訳程度に見受けられる草のみの荒れた土地が続いている。
羊を偶に見かけるくらいで、他の動物も見かけない。
しかし、この様な辺境の土地にも電線と電柱だけはしっかりとあるのを見えると、中国も広範囲へ発展させようと模索しているのだろうかとふと考えた。

時折見かける人々の顔つきが大分変わってきた。
彼らがモンゴル族なのだろうか。

20:45 二連粘
国境の街で出国手続きを行っている。

つたない英語でも辛抱強く話しに付き合ってくれるMingに感謝。
出国手続き用のカード記入で良く判らない所も丁寧に教えてくれた。
彼が歯ブラシが見つからないと探していたので、お礼としてホテルで貰ってきたものを差し上げた所、同じホテルに泊まってた事が判明した。
何という偶然であろうか。

しばらくMingの事をたずねてみた。
彼は台北の国際台北芸術大学で大学院まで進んで役者として学んできたそうだ。
彼の先生は早稲田出身で、友人が東京大学に留学生として学びに行っていたとの事。
高学歴である事と、意外と日本との接点があることに驚いた。

その後、歯ブラシは発見されたようだ、未使用のままお礼とともにそっと戻してきた。
ちょっとしたお礼のつもりだったので、少々残念だ。

出国手続きは非常に簡単に終了した。
係員が各車両に乗り込んできて書類とパスポートを回収し、30~40分後に返却された。
質問もごくわずかであった。
Mingが言うには我々の席が高クラスの為、わざわざ細かい所までは聞かなかったんじゃないかと言っていた。
確かに名前、国籍、中国に滞在した日数を聞かれただけだったので、そういう事なのかもしれないと考えた。
下のクラスだともっと時間がかかるのだろうか。

他のカーゴを見に行ってみたが、二級クラスになる四人コンパートメントも多少狭いくらいで快適そうに見えた。
二人コンパートメントのシャワー・洗面所が無くなって、その分人が入っている形状になっていた。
実際はこのシャワーがお湯は出ないわ、水力が弱いわで使えないものだったので、あまりメリットを感じてなかったので価格が安い四人コンパートメントへ魅力を感じた。
国境を越えたところで水の補給をして、水力が強くなってくれることを祈る。

二連粘ではモンゴルに対応する車両を追加した。
また、今まで乗っていた列車も車輪幅がモンゴルのほうが広い為、乗客を乗せたまま車両を持ち上げて車輪のユニットを取り替えるとのこと。
食堂車も中国のものからモンゴルのものへ取り替えられるようだ。
早速、朝食でモンゴル料理を試してみよう。
今から楽しみだ。

国境を越える寸前にビールを飲んでから望んだら、係員が言っていることがいまいち聞き取れなかった。
流石に出国手続き時に酔っているのは問題があった。

21:35
車両を持ち上げて車輪の交換をしているようだが、暗いことと車両から出られない為状況が確認しがたい。
各車両のブレーキをかけていないのか、もしくはかけていても動かす必要があるのか前後へたびたび大音量を響かせながら移動している。
ゆれがひどい。

後ほど入国手続きがあるはずなので寝ないで絵を書きながら暇をつぶしているが、ゆれるたびにずれる。
流石に途中であきらめた。

中国出国手続きからモンゴル入国後しばらくたつまではトイレが使用できないとの事で、約2時間トイレが使えない。
流石にトイレから外へ直接垂れ流しする為、駅中ではドアへ鍵をかけている。
あまりにも長すぎた為…我慢できずにシャワー室でそっとする。
…洗っておきました…ゆるして。

5月20日12:40~21日1:20
モンゴル入国手続き。
国境は流石に疲れて寝ていてしまいよく判らないまま過ぎてしまった。
また、寝ていた為入国カードが配られていたことに気がつかず、係員の前であわてて書くことになっている。
旧ソ連だけあって軍隊がつけるような先端がとがった帽子をつけて無表情の女性係員が、イライラした雰囲気でまっているのが気にかかった。

入国手続きが終了後、食堂車を見に行ってみた。
すでに営業はしていないが休憩所として開放されている。
中身は中国のものと大きく異なり、鹿の剥製、盾や剣・弓のイミテーションが飾られ、天井もゲルで使用されているような木製の装飾が見られた。
モンゴル国語で営業時間が書いてあったが、まったく読めなかった。
書き文字はキリル文字というロシアの文字をモンゴル国では利用しているとの事で、英語に似た表記であってもまるで意味が違うという非常に混乱してしまうものである。

食堂車はロシアに入るとロシア料理に変わるのであろうか。
非常に気になるが確認できなかった。

駅の作業員が全員ファー付の分厚いジャケット姿に変わっていた。
車内は暖房がついているがそれでも廊下には冷気が吹き込んでくる。
もう一枚来たいところだが、北京で上着を1枚うっかり紛失してしまって依頼薄手のジャケットだけしかない。
その上着があれば何とか乗り切れるかもしれないのに…
ウランバートルでこの服装で足りるであろうか。

モンゴル国内を列車が走り出した。
外では相変わらず砂嵐が舞い上がっている。
非常に荒れた大地だ。
ここら辺もゴビ砂漠に属しているのであろうか。
国境検査の為の建物が荒原にただ一つポツンと建っているのが不思議に感じる。

ほんの少しの隙間から入り込んだのであろう、車両の入り口に砂がたまっていた。
細かくてまとわりつくような砂だ。

シャワーは相変わらずだ。
水しか出てこない上に力がない。
これでウランバートルまではシャワーが浴びれないことが確定した。

中途半端に寝てしまった為、目が冴えている。
少々、ニンテンドウDSで時間をつぶそうか…
しかし、モンゴルは220Vの国なのでバッテリーの充電がDSはできない。
(ためしに車両についている220Vにつないでみたが、まったく反応しなかった。
おそらくは安全装置がついているのだろう。)
DSは辞書として使用しているので、ダウントランスが必要だが…
あれはあまりにも重い。
鞄や他の荷物も含めて8月の再出発の際には調整を行おう。

5月21日13:00
長かった砂漠も終わり少しずつではあるが草が見えてきた。
時折、馬や牛の牧場も見られる。
小~中規模の集落もあり、皆写真を撮っている。

モンゴル国に入ってからの線路は直線でなく山に沿って移動している。
おそらくは集落や牧場を避けるように設置しているのであろう。

Mingからウランバートルの情報をもらった。
日本語が少々わかる現地の友人がかかわっているゲストハウスまで一緒に行ってくれれるとの事。
ウランバートルの情報をほとんど持っておらず、宿も決めてなかったので飛びついた。
本当にMingには助けられてばかりだ。

モンゴルの食堂車で朝食を取った。
非常に高い。一食90元(1300円程度)。
紅茶とセットディッシュでこの価格とは…中国での食堂車の二倍ほどだ。
おそらくはあまりにも換金レートが悪く設定されている為、異常に高いと感じたのだろう。

ドルでビールを購入したが350ml缶で2ドルもした。
日本と買うのと変わらない…換金レートの影響ではなく、モンゴル国の販売品が高く設定されているようだ。

慌てて北京で出会った一日後れの列車でロシアへ向かう吉田君という人へモンゴル国内の商品高を教えようと電話をかけるが、つながらず。
あちらもそろそろ大同駅近くまで行っている筈だ。
食料品を買い込んでいることを祈る。

シベリア鉄道の旅(北京→ウランバートル)①

それでは時間を遡って、シベリア鉄道の旅について語ります。

5月20日からの日記にすればって話しは…途中で後で書くとか、戻ってきたとかのミニ報告をしちゃったんで書いた順番で単純に積み重ねていくことにしました。(ノω`;

あ、日記の中は完全に「文語調」で統一してます。
その日の気分でものごっつい砕けた書き方になっていたり、丁寧な言葉で書かれていたり、イラストや注釈が大量に入っていたりでごっちゃだったんで、一番書き易いのにしちゃいました。
気にしないで読んでくださいな♪(´ω`*

あ、ちなみに…めっちゃ長いです。
暇だったんでがっつり書きまくったから♪

5月20日
beijing.jpg zibun.jpg

7:46 北京駅(Beijing St.)
定刻どおり中国-ロシア行きの列車が出発しそうである。
中国の首都・北京からモンゴル国の首都・ウランバートルまで約30時間もかかる長時間の旅。
初めての列車での国境超えに期待が高まる。
コンパートメントは№4、座席は№8。一番贅沢な2人個室だ。
贅沢がしたいために取ったのでは無く、安い座席は発売と同時に売れてしまう事を認識していなかったために仕方なく取ったチケットであるのが残念だ。

同室は台湾人の男性Ming。20台後半。
流暢な英語を話す人物だ。
職業は自由契約の舞台役者で日本にも公演に来たことがあるとの事。
モンゴル国では地方まで出かけて行って、馬頭琴を習ってくるそうだ。
普段は世界中を飛び周って、役者として稼いでいるのは凄い。
また、下手な英語でも辛抱強く聞いてくれるし、返答や確認も丁寧にしてくれる。
非常にありがたい。
興味半分で行ってみた北京のディスコクラブで酔っ払って、ちょこっと話した人に似ているが…さすがにそんな偶然は無いだろう。
(後に別人物と判明)

北京駅は丁度オリンピックに向けてか改装中で、1階がほとんど使用できない状態であった。
1階は長距離列車用のホームと待合室、併設された売店と食堂のみ使用できた。
2階はすでに改装済みの様で、非常に綺麗な状態である。
そこでは中国国内向けの列車用ホームとレストラン、土産物屋、オリンピックの公式グッズ販売店等多くの店が並んでいた。
Lotus(北京でよく見かけるファーストフード店・中華料理)で朝食を食べた後、少々の飲み物とインスタントラーメン、大量のメロンとマンゴスチンを購入する。
この際、果物を少量購入したい旨伝えても怪訝そうな顔をして、沢山入った袋を差し出された。
おそらく中国人は少量で果物を買う概念が薄いのだろう。
人の良いおばさんで、色々話しかけてきたり、あれも美味しいこれも美味しいと色々勧めてくれたが購入したものだけでも数日過ごせそうな量であったため丁重にお断りした。

syanai1.jpg


さて、再び列車内の状況にもどろう。
先ほど北京駅で購入した果物はつぶれない様にビニール袋に入れて、コート用のフックにかける。
量が多いせいかコンパートメントの扉を閉めると甘い香りが立ち込める。
少々、香りが強すぎるだろうか。
同室の人物が気にしないかが不安だ。

列車が定刻どおり出発した。

16:15 集宁南駅(Jining St.)
次第に気温が下がって来たのが肌で感じられる。
Mingが外が寒いと笑いながら叫んでいた。
ためしに自分も出てみようと薄手のジャケットを着込んで降り口に行ってみると、係員に止められた。
停車時間の短い駅の様で直ぐに出発ようだ。
外に出ることは出来なかったが、扉から吹き込んでくる風が木枯らしの様に寒く強いものであった。

直ぐに列車が出発する。
特に何も考えずにぼぅと窓の外を眺めていると、売店に座っている初老の男性と目があった。
なんとは無しに手を振ってみると、向こうも笑顔で手を振り返してくださる。
不思議な縁を感じた。

17:00頃
砂嵐が強い。
常に空がかすんで見える。
隣のコンパートメントのフランス人青年が廊下の窓を開けて写真を撮っている。
砂が入ってくるは、中の空気が乾くはで外の気候の厳しさが見受けられた。
「乾燥している空気だね」とその青年に話しかけてみると、直ぐに窓を閉めてくれた。
苦情を言うつもりではなく話してみようと思ったが、誤解されたようだ。
まあ、閉めてくれたほうがありがたいのは確かであるが。

線路沿いは思った以上に綺麗で整備されていた。
話に聞いていた様なゴミの山は見られない。
オリンピックに向けて掃除を行ったとしたならとても良いことと考える。
後々までこの習慣が続いてくれることを祈る。

idou1.jpg


コンパートメントと廊下にコンセントがある。
コンパートメントのは220Vの為、持ってきた一部の電化製品が使用できないのが残念だ。
まあ出来ないのはDSと日本でしか使えない携帯電話だけなのだが、DSは「旅の指差し辞典」用にも使っているため充電できないのは困る。
廊下のを確認したところ43Vであった為、早速充電を行った。
しかし何故43Vなのであろう。
理由は判らないが順調に充電できているから問題ない。
時折、「コンパートメント内のコンセントで充電してください」と乗務員より言われる事を除けば…
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